

1947年3月20日 大阪市北区の天満で生まれる。
父親17才、母親は28才のときでとても入籍なんてというので両親が同棲の間に生まれました。
母はバツ一で元夫のもとに一男を残し離婚という状況で 当時、高校生であった17才の父と結ばれたのです。
小学校の頃、なぜか両親の年を書く欄があり17才の父親という事が恥ずかしく、父と母の年を逆に書いていたのを思い出します。
そんな理由もあって入籍をしなかったので、わたしも小学校にあがるまでは戸籍上は存在しなかったみたいでした。
昭和22年という終戦をむかえてまだ2、3年の頃だからそんなこともまかり通ったのかもしれない。
生まれもったものか、ほとんど両親にかまって貰えなかったせいか、日暮れになると幼かったわたしはプル式の電灯をつけることが出来ずに暗いまま、部屋の隅で正座し、なぜか南無大師遍照金剛と繰り返して唱えていた。
亡くなってしまった叔母が何度も言うほど変わった子供らしかったです。
中学1年のときに大阪は池田にある少し名前の知れていた拝みやの家に、母に連れられて行き、そこのおばあさんに軽く目を閉じてちからを抜いて合掌しなさいと命じられた。
そしてそのおばあさんがやおら般若心経を唱えだすとわたしの手が上下に揺れだし、しまいには合掌のままでバンザイのかたちになって揺れだした。
あとでこの子にはお大師さんがついていると母に言った。
たいして意味がわからなかったのですが、それから神秘世界に強烈な興味を抱くようになり、その道のことを独学で学強するようになりました。
20才のときに今でも思い出すと胸をしめつけられるほどの 一期一会の女性と恋愛した。
その女性の突然の失踪でわれを失いさまよい歩いていた時に、自分を取り戻す事ができたのが当時、ナンバにおられた占い師のお陰です。
そのことがキッカケであらゆる占術を学ぶことになり、27才頃より人間の運命について深く考えるようになり、人さまの運命鑑定のかたわら縁起、開運法の探求に没頭しいろんな地方の情報を得ては検証、検証、実証の修行生活をおくっていたが、それだけでは生活が成り立たなかった。
かたわら行ったビジネスが小さな成功をおさめ、それが却ってアダとなり賭け事の因縁にひきずられた。
ギャンブル(競艇)に際限なくはまり、おおくの借金におちいり明日もままならず、易者身の上しらず、易者乞食の見本を地で行くようになり苦しみの日々を送って
いた。
その時は結婚もしていたので嫁にも相当な苦労をかけていた。結婚指輪の質入の利息を払いに幼かった娘をとめた車に残し、戻ってみると心細かったんでしょう涙ぐんでシクシクと泣いている姿をみて歯をくいしばって立ちなおり、本業の鑑定と開
運法の探求に専従するようになる。
生活もうんと楽になった頃、またも賭け事好きのムシが頭をもたげ、パチンコに ひんぱんに通うようになる。
しかしパチンコ屋の通路に立ち空き台をながめていると、わたしを打って下さいとささやくのが聞こえ実際に打つと勝利するので益々面白くなり、ハマッテしまう。
お金の面ではけっこうなんですが時間を浪費することがむなしくなりやめようと思うが意思の弱さからやめる事が出来なかった。
こんなことがある期間続いたので、お祀りしているお観音さんにもしも、次にまたパチンコするようでしたらどうぞ罰をあてて下さいとお願いした。
舌の根もかわかないのにまたまたやっていました。
エッ!罰なんか当たれへんやんか、とパチンコを続けながら今度はもし又するようなことがあったら、今度は命をうばって下さいとお願いしながらもまた懲りずにパチンコを続けてました。
夜になっては誓い翌夕になっては破り自分の意思の弱さに毎日、情けない思いのくりかえしでした。
やっぱり罰なんか当たれへんや!と自分で望んでおきながら、罰をあてることのないお観音さんをみつめて、また誓う夜を2ヶ月くらい過ごした。
夜半の4時ころ、むこうずねが捻られているような痛みに目覚め1時間ほど七転八倒し5時になると不思議と消える夜が3日ほど続き、これはおかしいと整骨院に通いましたが深夜の4時のできごとは消えません。
そのことを整骨院の先生に訴えて少し異なる治療を施してもらい、その夜は起きなかったのですが、翌朝から異変をきたして仲人をしてもらった医院の診療を受けたが、原因が不確かで大阪府立病院を紹介され受診しました。
あらゆる検査後に嫁と呼ばれて、担当医に白血病であるといわれ余命数ヶ月を告知されました。
その後、階下の喫茶で嫁と顔をあわせながら唖然として二人とも声がなかったのをよく覚えています。
死ぬ事が怖くて2、3日は眠れなかったのですが、これは罰や!やっぱり罰が当たった。
わたしが望んだことを与えてくださった。と実感し、よくもやっぱり罰を当てられんやないか?などと思ったなと、逆に考えたりもしました。
今度は逆の思いをもって、もしこの世に自分の仕事が残されているのならいま一度、生かしてくださいと不安な日々の 中で願いました。
2ヶ月も過ごしたクリスマス・イブの夕に体の様子が突如変わり、なんとその翌日の検査から、全部、白、白、白で健康体に変わるという不思議体験をまたさせてもらったのです。
もう二度と乗る事がないと売り払ったベンツをあわててヤナセに注文さえしました。
そしてそれからは益々、人間の運命の不思議と開運法の実証と修行に没頭し、30数年のあまたの方の運命鑑定と開運の実証を分母に、現在も高麗川・天命庵にてかわらず多くのかたの相談にのせていただく毎日を過ごしています。
一年に一度も健康診断を受けないのですが、その時に、血の気が多いねと言われ、そしたら献血すればいいですかと言ったら白血病の抗体があるから、全部捨てられてしまうよといわれたので、嘗ての不思議体験の残骸はいまも残っているようです。